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飯田の城下町で「時の番人」探し 田中芳男ゆかりの地巡る

田中芳男の生誕地、飯田市中央通り2丁目「千村氏の代官所」で飯田・城下町サポーターから解説を聞く一行

田中芳男の生誕地、飯田市中央通り2丁目「千村氏の代官所」で飯田・城下町サポーターから解説を聞く一行

 飯田の城下町を歩きながら地域の歴史やまちづくりを学ぶ催し「城下町を歩いて『時の番人』をさがそう」が5月17日、飯田市内で開かれた。飯田・城下町サポーターと飯田市美術博物館(飯田市追手町)学芸員人文担当の織田顕行さんの案内で、市内外から18人が参加した。

田中芳男、義廉顕彰碑を前に開設する織田顕行学芸員

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 当日は、同館を出発し、裏界線(りかいせん)や通り町、りんご並木、田中芳男・義廉顕彰碑、田中ビワ、生家跡、中央通り、飯田城惣堀跡、JR飯田駅、烏山稲荷神社、飯田藩会所跡などを巡った。飯田の城下町の歴史やまちづくり、「日本の博物館の父」とも呼ばれる飯田出身の田中芳男ゆかりの地について学んだ。

 一行は約3キロの道のりを約3時間かけて巡った。当日は飯田市内で今季初の真夏日となり、木陰や建物の陰で休憩を挟みながら進行。りんご並木の緑や初夏の自然を感じながら、市街地に点在するモニュメント「番人」を探した。

 飯田・城下町サポーターの久保田義秀さんは、飯田城下町について、城を囲んでいた堀の跡や町割りの特徴を紹介。1947(昭和22)年の飯田大火後に進められた防火を意識したまちづくりや、時代ごとに変化してきた街並みについて説明した。

 「番人」は、1988(昭和63)年から1996(平成8)年ごろにかけて、飯田市在住の銅版画家・今村由男さんがデザインしたモニュメント。「誕生の番人」「太陽の番人」「雲の番人」「時の番人」「結いの番人」「出会いの番人」「空の番人」「実りの番人」「風の番人」「夢の番人」などが市街地各所に設置されている。参加者は地図を片手に探しながら、「あった」「知らなかった」などの声を上げていた。

 りんご並木では、久保田さんが田中芳男とリンゴの関わりについて紹介。現在食べられている甘く赤いリンゴは、ヨーロッパのリンゴを日本の姫リンゴに接ぎ木し、田中が改良したものが始まりとされることを説明した。ソメイヨシノについても、田中芳男指導の下で見いだされたことや、「田中ビワ」と呼ばれる品種を作り、現在も主力品種として生産されていることなど、植物研究の功績を紹介した。

 田中芳男について、織田さんは「博覧会のような一過性の展示ではなく、いつでも見られる場をつくりたいという考えから、日本の博物館制度の基礎を築いた人物」と解説。農業や畜産、産業振興にも力を注ぎ、日本を豊かにするための仕組みづくりを進めたことも紹介した。

 各所で行われる解説には「教えてもらわないと気が付かない」「そんな歴史があったのか」などの声も上がり、参加者が真剣な表情で耳を傾ける姿が見られた。飯田市内から友人と参加した女性は「地元に住んでいながら飯田のことを知らなかった。ガイドの方からいろいろ聞いて興味を持ち、さらに知りたいと思った」と話し、阿智村から夫婦で参加した女性は「飯田の知らないことをいろいろ知ることができ、ありがたかった」と話していた。

 飯田市美術博物館では5月24日まで、特別展示「生涯をかけて集めたコレクションに瞠目(どうもく)せよ!」を開催。田中芳男が数え年76歳だった1913(大正2)年に東京・赤坂区溜池町の三会堂で開いた「田中芳男君七六展覧会」の『田中芳男君七六展覧会記念誌』を展示している。

 織田さんは「田中は好奇心があり、異常なくらい真面目だった。『とりあえずやってみよう』という実践力があり、飯田で育った環境や『人のために尽くさなければ人ではない』という父の教えも大きかったのでは」と話し、「田中の姿から、ここから何を学んでいくかを、それぞれ考えてもらえれば」と呼びかけた。

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