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飯田で「赤門スクール」 伊那谷に残る5体の青い目の人形について学ぶ

赤門スクールの講座の様子

赤門スクールの講座の様子

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 飯田下伊那の歴史や文化などについて学ぶ研修講座「赤門スクール」が10月7日、長野県飯田合同庁舎で開かれた。元教員で現在は飯田エフエム放送(飯田市常盤町)のパーソナリティ-小木曽豊さんが講師を務め、地域に残る「青い目の人形たち」について語った。

会場で展示された青い目の人形

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 青い目の人形は、親日家のシドニー・ルイス・ギューリック博士の提唱で、日米友好の懸け橋として1927(昭和2)年、「日米の平和は子どもたちから」というスローガンの下、アメリカの子どもたちから日本へ、ひな祭りに合わせて約1万3000体が贈られてきた。そのお礼として日本からもクリスマスに間に合うように日本人形を贈り返す運動も行われた。しかし、1941(昭和16)年に太平洋戦争が始まると「敵国人形」の扱いを受け、焼却されるなどして多くの人形が処分された。

 小木曽さんは、伊那谷に5体残る人形のエピソードとして、自身が当時校長として勤めた上伊那郡飯島町の七久保小では「当時小学生だったお年寄りが人形を訪ねてきた」千栄の林家の人形は「答礼人形の送別会で全国の小学生を代表してお礼の言葉を述べた松本昌子さんのもの。林家に嫁いだが、満洲に渡り亡くなった」などと説明。このほか、飯田市の山田家(上郷)、大鹿小(旧大河原小)、根羽学園(旧根羽小)に残されている人形についても紹介した。

 会場では、実際に林家と山田家から借り受けた「青い目の人形」を展示。間近で見た受講者らは「目が美しい」「かわいい」と口をそろえていた。講座を受講した市内在住の女性は「初めて青い目の人形を見たが、美しくかわいらしかった。青い目の人形の歌も懐かしく、涙が出てきた」と感動していた。

 赤門スクールは南信教育事務所飯田事務所の独自事業として、2007(平成19)年度にスタート。当初の事業名は、「子どもの遊びと生活を考える集い~今こそ、輝かせよう 子どもの笑顔~」で、学校関係者や保護者、地域住民を対象に行っていた。翌年から名称を現在の「赤門スクール」に変更し、自然や歴史、文化、伝統芸能などをテーマに、誰でも参加できる講座として展開している。

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