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飯田の珍名坂「まむし坂」周辺改修工事完了 歩道設置し合流緩やかに

改修を終えた「まむし坂」合流地点

改修を終えた「まむし坂」合流地点

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 飯田市東中央通りの谷川線から馬場町へ上る市道2-2号谷川東栄線の通称「まむし坂」周辺の改修工事が終わり、2月12日、供用が始まった。

昭和30年代の地図には「眞虫坂」の小字が

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 工事は同坂に合流する国道151号の歩道設置を目的に、急坂で直線的に合流していた同坂(市道2-2号谷川東栄線)の入り口をカーブさせ国道に合流させるもの。防災安全交付金交通安全対策事業(国道151号飯田市東中央通り)として飯田建設事務所(飯田市追手町)が2023年1月から工事を始め、約2年かけて完成。工事中に掲示した看板は、正式名称の「市道2-2号谷川東栄線」を使わずに、地域住民に親しみのある名称を理由に、平仮名で「工事の為(ため)、まむし坂通り抜けできません」と表示した。この看板を見た多くの若い世代から「初めて坂の名前を知った」などの声が聞かれた。

 伊那谷地名研究会の会員で飯田市美術博物館の評議員の今村光利さんによると、「大正時代の地図には名称の表記まではないものの、この坂が描かれていた」と話す。昭和30年代の地図を確認すると「眞虫坂」という小字があり、人が通れるほどの坂道と竹やぶが広がる土手だったという。1973(昭和50)年には自動車が通行できるよう改修し、現在の形となった。

 同研究会は坂の名前の由来を「マムシ(毒蛇)が出そうな土手や竹やぶがあったからであろうとの説」と「子どもたちに危険を促すため、その場所に行かないように用いられた説」を示す。ほかにも、「マムシ(蛇)のような細長い坂という説もある」とも。

 旧市内へ上る谷川線が開通してからは1882(明治15)年に開店した二本松遊郭に向かう近道として使われるようになったという。旧市内からは「くつわ小路」を使うのが一般的だったというが、同坂を使う事で飯田の街なかを経ずに遊郭へ行くことが可能だったとも。今村さんは「戦後の廃娼(はいしょう)令により青線黄線などの脱法業者もあり、子どもたちには行かせたくない場所だったのでは」と同坂の命名理由を考察する。

 通りを利用する男性は「歩道が広くなって子どもたちにとっても安全になったのでは」と話す一方、東中央通りに住む女性は「谷川線の上の方をもっと安心して歩ける道にしてほしい」と意見を述べる。馬場町に住む男性は「元々があまり安全な道ではないので普段は使わないようにしている」と話す。橋北公民館の担当者は「改修したカーブの影響で対抗車が確認できないため、カーブミラーを付けてほしい」という要望が住民から上がっているという。

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